航空券 パックに関するホットニュース

1969年には、Jジェット機が就航開始したことにより、座席供給量が飛躍的に増加した。 その結果、バルク運賃といわれる団体旅行専用の廉価な航空運賃体系ができ、パッケージツアー価格は大幅に引き下げられた。
旅行会社の主催商品の強化には、航空座席を大量に販売する必要があった。 航空会社側の事情もある。

海外旅行ブームJジェット機就航後の1970年から73年の海外旅行者数の伸び率は、年率で30%から60%台にも達した。 その後も順調に伸びた海外旅行者数は、1980年には第二次オイルショックのその後、1985年にかけて、年間旅行者数400万人台の年が続き、「500万人の壁」がいわれるようになる。
この低迷の時代に、大学生を対象とした比較的長期間のパッケージツアーが専門の旅行会社から相次いで企画され、海外卒業旅行ブームが生まれている。

1985年9月、ニューヨークのPホテルで行われた5カ国蔵相会議において合意された、ドル高是正のための協調介入に関する声明。
当時1ドル240円台が、1987年には150円台に達する急激な円高・ドル安を招いた。 国際収支改善と旅行業の振興を目的として、U省(現、K省)が1987年9月に策定した海外旅行促進策。
1986年の海外旅行者数552万人を、5年間で1000万人に倍増させようという計画。 しかし1985年のP合意による急激な円高を契機に海外旅行者数は急増する。
ツアー価格が低下し1987年にはそれまで10万円であった非課税免税枠が20万円に引き上げられるなどの効果で、OL層は競いあうように海外のショッピング旅行へと出かけた。

この時代のOLの多くは学生時代に海外旅行の経験があり、彼女らは大きな抵抗感もなく海外旅行に出かけて行った。
海外リピーターという言葉が頻繁に聞かれるようになった時代でもある。 1987年にU省(現、K省)が「海外旅行倍増計画」(いわゆるテン・ミリオン計画)を発表するが1990年にはU省目標より一年早く目標の1000万人は達成される。

このような海外旅行ブームが続く中、1991年には湾岸戦争が勃発し、その影響を受けて上半期は学生の卒業旅行やハネムーンなどのキャンセルが相次ぐ。 年後半からは回復したものの、この年は1980年のオイルショック期以来、海外旅行自由化後2度目の前年割れとなった。

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